コリア国際研究所
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「連邦制」への野望秘めた「2007年南北首脳会談」

2007.10.10
コリア国際研究所所長 朴斗鎮

 10月2日から2泊3日の行程で進められた「2007年南北首脳会談」は、金正日委員長主導のもとに進められた。この一連の行事での金委員長の行動は、あたかも「統一大統領」であるかのようであった。
 一部では今回の「南北宣言」を「具体的宣言」として位置づけ、2000年の「6・15共同宣言」に比べると、より実務的なものであったと評価している。しかし果たしてそうだろうか。
 実務色を前面に出し「統一色」をあらわにしなかったのは、「6・15共同宣言」で確認された「低い段階の連邦制」への移行を、韓国国民に悟られないようにするためのものではなかったのか。金正日が「統一大統領」のように振舞ったことを見るにつけそうしたことが脳裏をよぎる。
 この点を読み解くに当たっては、金正日政権が南北首脳会談をどのように位置づけているかをもう一度想起する必要がある。
 金正日は「南北首脳会談」を「連邦制を通じた朝鮮半島支配」のための「対南(韓国)工作」として位置づけ、当面は自らの弱点を補う「太陽政策逆利用戦術」の一環として南北関係を利用している。だからこそ今回も金正日に同席した北朝鮮側幹部は統一戦線事業部長の金養建だったのだ。これは経済担当の副首相をはじめ、外交、国防の要人を同席させて政府代表団のような形を取った韓国側と対照を成している。
 金正日の思惑が彼の望み通り実現するかは分らない。それは金正日の勢力とそれに反対する民主勢力の力関係が決定する問題だ。しかし今回会談に込められた金正日の狙いを看破しなければ彼の欺瞞策が効を奏し、その野望が一歩前進することは十分ありうる。12月の韓国大統領選挙結果が、その行方を決定するといっても過言ではないだろう。

1、金正日の術数にはまった盧大統領

 今回の首脳会談で盧武鉉大統領を迎えたのは、2000年6月とは異なり金永南最高人民会議常任委員長であった。盧大統領は人民文化宮殿で彼の出迎えを受けてオープンカーに同乗した。それはあたかも「南の自治政府首脳」と「北の自治政府首脳」との対面を思わせるものであり、その上に金正日が君臨するという姿を想起させるものだった。
 こうした金正日の演出は、歓迎式への彼の参席が明かされないまま、直前に2度も会場が変更されたことにも表れた。また10月2日12時定刻、平壌の4・25文化会館(平壌市牡丹峰区域のチャンギョン洞、75年10月に開館)に到着した盧武鉉大統領を、金正日が出迎えたが、ここでも金正日の不遜な態度が垣間見られた。オープンカーでのパレードが歓迎式会場に到着する数分前に金正日は到着したが、彼は「あくび」をしながら専用車から降りている。その後、歓迎式会場で盧大統領を迎え、儀杖兵を閲兵する際もそっけなかった。
 盧大統領との最初の会談に応じたのも金正日ではなく金永南常任委員長であった。2日午後、万寿台(マンスデ)議事堂で盧大統領は北朝鮮の名目上の元首金永南と会談した。盧大統領はここで彼から「絶望感」を味わわせられる事となる。もちろんこれは金正日が主導権をとるために演出したものだ。金大中の時も小泉純一郎の時もまずは「絶望感」を味わわせている。それが金正日のやり方だ。金永南はこの会談で盧大統領に北朝鮮側の「原則論」をぶちまけた。それは、「国家保安法の廃止」、「韓米合同軍事訓練の中止」、「西海(黄海)の北方限界線(NLL)の見直し」、「韓国人の(故・金日成〈キム・イルソン〉主席の遺体が安置されている)錦繍山記念宮殿への訪問を認める」の4つだった。この時盧大統領は「絶望」のあまり次の日に帰国することも考えたと韓国到着後の「報告会」で述べている。
 盧大統領が「絶望感」に打ちひしがれる中で、3日午前9時34分ごろ盧大統領の宿泊先の百花園招待所(迎賓館)で、盧大統領と金委員長との1回目の首脳会談が行われた。予定していた10時より26分ほど早い開始であった。
 韓国からは権五奎(クォン・オギュ)副首相(財政経済部長官兼任)、李在禎(イ・ジェジョン)統一部長官、金万福(キム・マンボク)国家情報院長、白鍾天(ペク・ジョンチョン)青瓦台統一外交安保政策室長が、北朝鮮からは金養建(キム・ヤンゴン)統一戦線事業部長が同席した。
 午前中の第一回会談も緊張の中で進められたが、午後の第二回会談で盧大統領はやっと「絶望感」から開放されることとなる。しかしここでも「首脳会談の一日延長」を提案され「鳩が豆鉄砲を食らった」形となった。盧大統領は、「相談しなければ」と返答すると「大統領が決められないのですか」と追い討ちをかけられ格の違いを見せ付けられることとなる。

 こうした「絶望感」から抜け出すためか、盧大統領は金永南常任委員長が2日夜に主催した晩餐会で唐突に「金正日委員長の長寿を願う」乾杯を行なった。あたかも「統一大統領」に捧げるように。
この時盧大統領は、突然グラスをもって主賓席を離れて司会の台に移動。マイクに向かって「皆で気分をほぐそう」といった後、「南北が平和になり、経済もうまくいくためには、金正日国防委員長が健康で長生きしなければならず、金永南常任委員長が健康でなければならない」「乾杯の辞を述べたときに、2人の健康に対して乾杯することを忘れた」と述べ乾杯を行なった。
 取材団はこの時、「会場は一瞬、静まりかえった」と伝えているが、盧大統領はお構いなしに、「気分が乗ってきたついでに、金正日国防委員長と金永南常任委員長、2人の健康のために乾杯しよう」と言いながら、「ウィハヨ」と叫んでグラスを挙げた。すると、参加者たちも全員立ち上がって、「ウィハヨ」と叫んで拍手したという。「ウィハヨ」は乾杯の時に使われる韓国語で、「(何々の)ために」という意味だ。
 盧大統領は、3日午後8時から大同江綾羅島の5・1競技場で開催されている「アリラン」を観覧したが金正日は同席しなかった。代わって常任委員長が同席した。午後の会談で絶望感から開放された盧大統領は、嬉しさのあまりこの「公演」で二度のスタンディングオーベーションを行なった。金父子を賞賛する「公演」を韓国大統領が二度のスタンディングオーベーションで答えたのだ。それが国家保安法に抵触する行為であることは言うまでもない。
 今回首脳会談での金正日の統一大統領のような振る舞いと、盧大統領の金父子体制賞賛を見たとき、採択された「南北関係の発展・平和・繁栄のための宣言」がどうしても「連邦制への第一歩」に見えてならない。

2、核保有国として対応した金正日、黙認した盧大統領

 今回の首脳会談に関して韓国政府や政府寄りのメディアは「平和」について騒ぎ立てている。しかし、厳しく観察している外交・安全保障分野の専門家らは、今回の南北首脳会談が核実験を成功させて核保有国を名乗ることができるようになった北朝鮮の指導者と、そうした北朝鮮の動きを封じることのできなかった韓国首脳との会談だったと捉えている。
 北朝鮮は10月3日に6カ国協議で延辺の核関連施設を無能力化することを約束したが、これを実行したとしても北朝鮮はすでに核弾頭十数基を製造できる量に値する50キログラム以上のプルトニウムを確保している。また2002年10月に第2次核危機を引き起こしたウラン濃縮プログラムは現在も存続している。
 だが盧武鉉大統領はあれほど多くの支援を約束しながらも、宣言の中に「核問題」という単語すら盛り込めなかった。そして北朝鮮の核兵器の開発やウラン濃縮プログラムについてはまったく言及しないまま、「韓半島(朝鮮半島)の核問題」の解決のため努力するという詭弁の文言を載せた。そして予測どおり、104日の帰国報告会の演説で盧大統領は、「北朝鮮の指導者が核廃棄の約束を履行する意思を明らかにしたのだから、(非核化の)履行は問題なく行われるだろう」と語り「金委員長は非核化の決意を示した」と国民をたぶらかそうとした。 これは2000年の「南北首脳会談」後金大中氏が「金委員長は統一後も米軍が韓国に駐留してもよいと言っていた」と言いふらしたことと同じ脈絡のものだ。
 独裁者との戦いの歴史を少しでも知っている人であれば、この日の盧大統領の姿を見て、イギリスの政治家、ネビル・チェンバレンを思い出したに違いない。1938年10月、ミュンヘンでドイツのチェコ侵攻問題についてヒトラーと話し合って帰国したチェンバレン首相(当時)は「平和宣言書」を振りかざしながら、「この文書の中に、われわれの時代の平和が存在する」と叫んだ。そしてヒトラーについて「約束は守る人物という印象を受けた」と語った。ところがわずか1年後、ヒトラーがポーランドを侵攻したことで、ミュンヘン協定はチェンバレンの大きな誤算であったことがはっきりした。
 もし北朝鮮がこれまで韓国政府や米国政府との間で交わされた合意を守ってきていたのであれば、今ごろとっくに平和協定が結ばれ、平和は定着している。北朝鮮は199112月に南北が合意した「朝鮮半島非核化共同宣言」を200610月の核実験によって、紙切れ同然にしてしまった。
それにもかかわらず、北朝鮮との「平和の約束」について、またもや韓国の大統領が幻想をふりまこうとしているのだ。ここにも「連邦制による朝鮮半島支配」が隠されていた状況が示されている。

3、連邦制への第一歩、「10・4宣言」

 韓国の一部メディアは「10・4宣言」と1991年の「南北基本合意」の共通性を論じ、今回の宣言を「南北基本合意」に手を加えたものだとの分析を行なっている。これは本質を見ないで現象面だけを見た分析である。
今回の「宣言」と「南北基本合意」の根本的違いはその背景にある。
1991年の「南北基本合意」は、1972年の7・4共同声明の基本精神に基づき、旧ソ連をはじめとした東欧社会主義の崩壊、韓・中の急接近という国際情勢の大激変の中で取り結ばれたものである。そこには北朝鮮の体制変化を狙う韓国側の「関与政策」が織り込まれていた。
 しかし今回の「宣言」は金大中政権以降進めてきた「太陽政策」の具体化であり、「関与政策」としての側面はほとんど見られない。それは「北朝鮮側が改革・開放という言葉に拒否感を示したので今後はこの言葉を使わないようにしよう」と語った盧武鉉大統領の対応を見ても明らかである。欺瞞的だとはいえ太陽政策の前提であった「北朝鮮を改革開放に導くため」という大儀名分すら放棄したのである。 
改革開放を放棄し、北朝鮮の言いなりの「支援」を行なう平和体制の定着が「低い段階の連邦制」への環境整備をねらったものであることは明らかだ。
 特に5項目と3項目の西海(黄海)に平和協力特別地帯を設け共同漁ろう区域を設置し平和水域とするという内容は、韓国のNLL(北方限界線)を解消させ、平和幻想を作り出すだけではなく、その平和幻想と引き換えに莫大な援助を引き出そうとするものである。それゆえに各種の経済協力プロジェクトもここに集中している。盧武鉉大統領自身もこの項目を「最も中心的であり、進展した合意」と強調した。
 そしてそれを保証する政治的枠組みとして第2項目が準備された。すなわち、「内部問題に干渉せず、南北関係の問題を和解と協力、統一に合致するように解決していくことにし、南北関係を統一志向的に発展させていくためにそれぞれ法律的・制度的装置を整備していくことにした」とする合意がそれだ。これは一言で言って韓国の国家保安法を撤廃させ北朝鮮の人権問題や核問題に口出しさせないというものである。
 しかしこの宣言が「低い段階の連邦制」への環境整備として実効性を持つかどうかは韓国国民の対応にかかっている。今回の首脳会談に対する韓国国民の対応は「冷静」なものであり、「統一」に対する熱望も見られなかったが、宣言が「実務的(欺瞞的)」となったのも、こうした韓国国民の「統一離れ」とも関係しているようだ。

    * 韓国の聯合ニュースは3日、盧武鉉大統領の北朝鮮訪問を生中継した地上波の大手テレビ局3社の特別番組の視聴率が全国平均で14.5%だったと伝えた。普段の同じ時間帯より高いものの、2000年の金大中大統領(当時)と金正日委員長による初の南北首脳会談の時に比べると、5.8ポイント低かった。盧大統領の訪朝にたいする冷めたムードが視聴率にも反映した形だ。

4、「宣言」実現は韓国大統領選挙の結果次第

 「連邦制」への移行で金正日がめざす当面の最重要課題は、12月の韓国大統領選挙で親北朝鮮大統領を再び誕生させることだ。それが実現できなければ今回の「宣言」を実効性あるものに出来ない。また現在進めている金正日の韓国支配構想にも大きな支障が生ずる。
 金正日は、親北朝鮮候補の掲げる「平和スローガン」を後押しするために、閣僚級会談を首相会談に格上げし、国防相会談までセットして11月開催を決めた。これは首脳会談の効果を持続させるためであることはいうまでもない。また、そこには次の政権がハンナラ党政権になっても後戻りできないところまで固めてしまおうとする狙いもある。
 米朝接近はこの欺瞞的「平和攻勢」に格好の環境を与えている。今回首脳会談を延期したのも「水害」が本筋ではなく、6ヵ国協議での米朝蜜月を首脳会談に利用したかったためだったのであろう。それは首脳会談の場に6ヵ国協議合意文の採択を終えた金桂寛と姜錫柱を呼び寄せ報告させたことからも明らかだ。
どちらにせよ今回の「104宣言」が採択されたことによって、12月の韓国大統領選挙の行方が一段と重要な意味を持つことになった。
 それだけではない。大統領選の結果次第では「南と北は、国際舞台で民族の利益と海外同胞の権利と利益のための協力を強化していくことにした」との宣言8項目が、在日社会に大きな影響を及ぼすことにもなる。

 

 

資料
「南北関係の発展・平和・繁栄のための宣言」全文
2007年10月4日

 大韓民国の盧武鉉大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金正日国防委員長間の合意によって、盧武鉉大統領が2007年10月2日から4日まで平壌を訪問した。
訪問期間中、歴史的な対面と会談が行われた。
 対面と会談では6・15共同宣言の精神を再確認し、南北関係発展と朝鮮半島の平和、民族共同の繁栄と統一を実現するのに伴う諸般の問題を虚心坦懐(たんかい)に協議した。
双方は、わが民族同士が志と力を合わせれば民族繁栄の時代、自主統一の新時代を切り開くことができるという確信を表明しつつ、6・15共同宣言に基づいて南北関係を拡大、発展させていくため次のように宣言する。

, 南と北は、6・15共同宣言を固守し、積極的に具現していく。

 南と北は、わが民族同士の精神によって統一問題を自主的に解決し、民族の尊厳と利益を重視し、すべてのことをこれに志向させていくことにした。
南と北は、6・15共同宣言を変わりなく履行していく意志を反映し、6月15日を記念する方案を講じることにした。

2, 南と北は、思想と制度の相違を超越し、南北関係を相互尊重と信頼の関係に確固と転換させていくことにした。
 南と北は、内部問題に干渉せず、南北関係の問題を和解と協力、統一に合致するように解決していくことにした。
南と北は、南北関係を統一志向的に発展させていくために、それぞれ法律的・制度的装置を整備していくことにした。
 南と北は、南北関係の拡大と発展のための問題を民族の念願に即して解決するために、両側の議会など、各分野の対話と接触を積極的に進めていくことにした。

3, 南と北は、軍事的敵対関係を終息させ、朝鮮半島で緊張緩和と平和を保障するために、緊密に協力することにした。

 南と北は、互いに敵対視せず、軍事的緊張を緩和し、紛争問題などを対話と協議を通じて解決することにした。
南と北は、朝鮮半島でのいかなる戦争にも反対し、不可侵義務を確固と順守することにした。
 南と北は、西海(黄海)での偶発的な衝突の防止のために共同漁業水域を設定し、同水域を平和の水域にするための方案と各種の協力事業に対する軍事的な保障措置問題など、軍事的信頼構築措置を協議するために、南側の国防相と北側の人民武力(国防)相との会談を今年の11月中に平壌で開催することにした。

, 南と北は、現停戦体制を終息させ、恒久的な平和体制を構築すべきだということについて認識を共にし、直接かかわりのある3者、または4者の首脳が朝鮮半島地域で会って終戦を宣言する問題を進めるために協力することにした。
北と南は、朝鮮半島の核問題の解決に向けて6カ国協議の「9・19共同声明」と「2・13合意」が順調に履行されるよう共同で努力することにした。

, 南と北は、民族経済の均衡発展と共同の繁栄のために、経済協力事業を共利・共栄と有無相通じる原則で積極的に活性化し、持続的に拡大、発展させていくことにした。

 南と北は、経済協力のための投資を奨励し、基盤施設建設と資源開発を積極的に推し進め、民族内部協力事業の特殊性に合わせて各種の優遇条件と特恵を優先的に付与することにした。
南と北は、海州地域と周辺海域を包括する「西海平和協力特別地帯」を設置し、共同漁業区域と平和水域の設定、経済特区建設と海州港の活用、民間船舶の海州直航路の通過、漢江河口の共同利用などを積極的に推し進めることにした。
 南と北は、開城工業地区第一段階の建設を早期に完工して、第2段階の開発に着手し、ムン山−鳳東間の鉄道貨物輸送を開始し、通行、通信、通関の問題をはじめとする諸般の制度的保障措置を早急に完備していくことにした。
 南と北は、開城−新義州鉄道と開城−平壌高速道路を共同で利用するために改・補修問題を協議、推進することにした。
南と北は、安辺と南浦に造船協力団地を建設し、農業、保健医療、環境保護など各分野での協力事業を進めていくことにした。
 南と北は、南北経済協力事業の円滑な推進のために、現在の「南北経済協力推進委員会」を副首相級の「北南経済協力共同委員会」に格上げすることにした。

, 南と北は、民族の悠久な歴史と優秀な文化を輝かすために、歴史、言語、教育、科学技術、文化芸術、体育など社会文化分野の交流と協力を発展させていくことにした。

 南と北は、白頭山観光を実施し、このために白頭山−ソウル直航路を開設することにした。
南と北は、2008年北京五輪に北南応援団が西海線(京義線)列車を初めて利用して参加することにした。

7, 南と北は、人道的協力事業を積極的に推進していくことにした。

 南と北は、離散家族と親せきの再会を拡大し、映像手紙(ビデオレター)の交換事業を進めることにした。
このために、金剛山面会所が完工するにつれて、双方の代表を常駐させ、離散家族と親せきの再会を常時行うことにした。
北と南は、自然災害をはじめ災難が発生する場合、同胞愛と人道主義、相互扶助の原則に従って積極的に協力していくことにした。

8, 南と北は、国際舞台で民族の利益と海外同胞の権利と利益のための協力を強化していくことにした。
 南と北は、この宣言の履行のために南北首相会談を開催することにし、第1回会議を今年11月中にソウルで開催することにした。
南と北は、北南関係発展のため首脳が随時会って懸案を協議することにした。

2007年10月4日 平壌

大韓民国大統領 盧武鉉
朝鮮民主主義人民共和国国防委員長 金正日

                   (注 太字は筆者が行なったもの)

                                 以上

 
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