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北朝鮮対日外交における最近の特徴

コリア国際研究所 北朝鮮研究室
2012.9.30

 2012年に入って、北朝鮮は日本に対する外交を積極的に展開している。年初から数回にわたって「宋日昊(ソン・イルホ)―中井洽会談」を行い、「日本人妻問題」で協議した。
 ところが北朝鮮で発掘された遺骨が日本人のものだということが明らかになるにつれ、北朝鮮は議題を「日本人妻問題」から「遺骨問題」に切り替えた。そしてそれを日本側に提起し、8月29日(〜31日)には4年ぶりの日・朝予備会談を行なった。
 それと並行して6月には「藤本健二招待」作業に入り、7月22日に「金正恩―藤本健二再会」というサプライズを演出して日本のマスコミに対する「抱きこみ工作」を行なった。しかし、藤本氏がはしゃぎすぎて「拉致問題」に対する北朝鮮の方針にまで口出ししたことで、このシナリオは茶番となった。藤本健二氏の二度目の訪朝は、北朝鮮が入国を許可しなかったために、出発8日後の9月15日に北京から羽田に舞い戻る羽目となった。
 また北朝鮮はこの間、一部日本人の訪朝を積極的に推進した。当初消極的であった4月の「金日成誕生100年訪朝団」を受け入れたのをはじめ、朝鮮総連「京都ネット」による学者・ジャーナリストの訪朝団(58名)」受け入れ(4月28日から5月3日まで)、8月28日からは「遺骨問題」にからむ「全国清津会」訪朝団の受け入れも積極的に進めた(〜9月6日)。9月7日からは「朝鮮問題懇話会」の一行9名も受け入れた。29日には竜山墓地に埋葬された日本人の遺族らが墓参のため羽田空港から空路で北京経由で平壌入りし、た(10月4日まで滞在予定)。
 北朝鮮が組んだこの一連の訪朝プログラム過程で一部学者と清津会関係者は新たな北朝鮮シンパに取り込まれた。もちろんこれら訪朝団に随行する日本のマスコミも受け入れ、平壌リュニュアールの「成果」をもって「新しい時代の北朝鮮」「変化する北朝鮮」「開かれた指導者金正恩」を宣伝した。
 こうした北朝鮮の対日外交の活発化は、対米、対韓国外交の停滞と表裏の関係にある。

1、北朝鮮の対日外交積極化の背景

 北朝鮮は「経済再生なくして金正恩体制の安定はない」との認識に基づいて経済の司令塔を「内閣」とする方針を打ち出した。この方針は金正恩の「4月6日談話」での次のように説明されている。

「金正恩4・6談話」

 「人民生活向上と経済強国建設で革命的転換をもたらすためには経済事業で提起されるすべての問題を内閣に集中させ、内閣の統一的な指揮によって解決していく規律と秩序を徹底的にうち立てなければならない。
 内閣は国の経済に責任もつ経済司令部として経済発展目標と戦略を科学的に現実性をもって、展望を立てて経済事業全般を統一的に掌握して指導管理するための事業を主動的に推し進めなければならない。
 すべての部門、すべての単位では経済事業と係わった問題を徹底的に内閣と合議して解いていき、党の経済政策貫徹のための内閣の決定,指示をそのまま執行しなければならない。
 各党委員会は内閣責任制、内閣中心制を強化するうえで支障となる現象と闘いを繰り広げて、内閣と各行政経済機関が経済事業の担当者,主人として自らの任務と役割を円満に遂行できるように前面に積極的に押し立ててやらなければならない」
(「朝鮮労働党中央委員会責任活動家たちとの談話」2012年4月)
 この「内閣中心制」が、経営の司令塔を「党委員会」とする従来のシステムとどのように調整されるかは分からないが、ともあれ、北朝鮮が経済再生に力を注ぎ「先軍政治」と「人民生活の向上」を同時に進める野心的方向を打ち出したことだけは確かだ。ただこの「併進路線」実現の可否は、財源、特には本格的な外資調達ができるかどうかにかかっている。

金正恩の命運握る外資の調達

 北朝鮮は、経済再生のため一貫して外資の本格的調達に力を注いできたが、金王朝死守のための先軍独裁政治と市場経済化拒否の姿勢が障害となりことごとく失敗した。2010年にも「大豊グループ」による外資誘致を大々的に打ち出し、インフラ10ヵ年計画まで発表したが、政治体制がネックとなり結局失敗した。そしてその主体であった「大豊グループ」は今年に入って解散した。
 そこで今年の8月、外資導入の総責任者である張成沢を中国に送り込み、経済特区開発のための投資(外資導入)と大規模借款を改めて中国指導部に要請した。北朝鮮は、経済特区活性化で外国企業との合弁を軌道にのせ、それと並行して外資を導入することで「人民生活の向上」を担保しようとしている。
 現在経済特区開発地域として、北西部の黄金坪・威化島、北東部の羅先、韓国と共同開発した開城と金剛山を運営しているが、新たに黄海道の海州、平壌から近い平安南道の南浦、東部の七宝山の3カ所を新たな経済特区にしようとしている。
 だが外資の大幅調達は中国依存だけでは解決できない。そこに対日外交強化の最大の動機がある。

2、北朝鮮の対日外交積極化の過程

 1月6日付で朝鮮労働党幹部に配布されたとされる「強盛国家建設における朝鮮労働党の経済路線と任務」で、北朝鮮は日本との関係について、「日本との経済協調の強化は、わが国経済発展にとって重要な位置を占めるとし、日本の先進技術や資金を最大限に受け取るため、特に日本の民間団体との経済協力について該当機関が早急に方法を探り、推進しなければならない」と主張した(毎日新聞 2012年2月25日)。

1)水面下での対日接触―「日本人妻里帰り」

 北朝鮮は、こうした方針のもとで今年の1月初旬から日本側との接触を断続的に進めた。
 宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使は、中国やモンゴルで民主党の中井洽(ひろし)衆院予算委員長らと極秘会談を重ね、日本側の思惑を打診し、日朝政府間対話の可能性を探った。宋日昊は中井氏とは昨年7月にも中国・長春市で会談している。
 日本政府はこの中井氏の動きを「一議員の活動」と述べ、政府との関係を否定したが、それは建前上の発言である。この会談に関する経費が拉致対策費から支払われているとの情報もある。
 この一連の会談を通じて両者は、「日本人妻の里帰り」問題で、朝・日間交渉を再開しようと一旦は「合意」したようだ。それは3月17日、宋日昊大使がモンゴル・ウランバートルで真鍋貞樹拓殖大教授との会談の帰途、北京で日本の記者たちを前にして、1959年から84年にかけ在日朝鮮人の配偶者と共に北朝鮮へ渡った約1800人の日本人妻の帰国問題を重点的に取り扱うことを訴えたことからも明らかだ。

 *日本人妻は97年と98年、2000年の3回にわたり、日本赤十字社と朝鮮赤十字会を通じて里帰りした。だが、02年以降は日本人拉致問題が日朝関係の最大の争点に浮上し、里帰り事業は中断された。日本は北朝鮮に厳しい貿易制裁措置を取り、拉致被害者の帰国を求めている。日本のメディアは、宋大使が協議中の内容を記者会見で公表したことについて、北朝鮮が日本人妻問題を通じて日本と積極的に対話する意向があることを表明したもの、との見方を示している(朝鮮日報 3月19日)

2)「遺骨発掘」で方向転換

 しかし、太平洋戦争末期の旧ソ連参戦(1945年8月)に伴う混乱の中、北朝鮮地域で死亡した日本人が埋葬されているとする遺骨が発掘されることによって、「日本人妻の里帰り」による朝・日交渉構想は、「日本人遺骨返還」による朝・日交渉に切り替えられた。
 4月16日、北朝鮮の宋日昊日朝国交正常化大使は、平壌を訪れた日本の元国会議員などのグループに対して、北朝鮮国内で多数の日本人の遺骨が見つかったと語り、日本政府にこの収集を呼びかけたことで方針転換は明らかになった。
 この方針転換は、軍による道路建設が行われていた咸鏡南道の咸州郡・富坪で遺骨が発見され、社会科学院・歴史研究所が中心となり本格的発掘、調査を行った結果、日本人の遺骨であると確信を持ったことがキッカケだった。
 「遺骨問題」の浮上とともに「日本人妻問題」での朝・日交渉構想の影は薄れていった。
 中井洽衆院予算委員長と共に北朝鮮側と接触を続けてきた真鍋貞樹拓殖大教授は、5月17日から18日まで中国・瀋陽に滞在し、遺骨収集、返還に関して北朝鮮側宋日昊氏と意見交換を行った(産経新聞2012.5.17 )。
 同時期に朝鮮総連も「遺骨問題」の窓口となり自民党の日朝関係議員を介し日本外務省に日朝協議再開を働きかけた(産経新聞2012.9.29 )。それに歩調を合わせる形で朝鮮新報は「遺骨問題」関連報道を大々的に展開し始めた。そこには「拉致問題」で膠着した日朝交渉を「遺骨問題」で突破しようとする意図がありありと示されている。
 こうした根回しの上で、北朝鮮は6月22日までに、平壌近郊の墓地や跡地2カ所を、共同通信など一部日本メディアに初公開し、「竜山墓地」の移設先とする丘陵地帯から出土したとする骨片も公開した。日本の文献などによると、竜山墓地は1946年、残留日本人が石碑を建てるなど整備し、約2400人が埋葬されているという。

 日朝赤十字、遺骨返還で意見交換へ

 日本赤十字社は8月7日、北朝鮮で戦没した日本人の遺骨収集について、朝鮮赤十字会と実務者間の意見交換会を9、10両日、北京のホテルで行うと発表した。日朝の赤十字協議開催は2002年8月以来、10年ぶりである。
 8月10日、日本赤十字社と北朝鮮の朝鮮赤十字会の実務者は北朝鮮内で戦没した日本人の遺骨返還や墓参を前向きに進めていくことで合意し、両国政府間の協議が必要との認識で一致した。
 日本赤十字社の田坂治国際部長は10日の記者会見で、日本人遺族の墓参について「(北朝鮮側は)いつでも受け入れる」ことを明らかにした。また、次回協議を早期に開催する方針を確認した上で遺骨のDNA鑑定などでは「政府の関与が欠かせず、双方が政府に協力してくれるよう要請する」ことで合意した。

3)日朝政府間協議を北京で開催 4年ぶり

 日本政府は8月14日、北朝鮮に残留し死亡した日本人の遺骨収集や遺族の墓参の実現に向け、金正恩新体制発足後初、4年ぶりの北朝鮮との政府間公式協議を8月29日に中国・北京で開催する方針を固めた。
 8月29日から31日まで3日間で計約7時間かけた日朝政府間の課長級予備協議は、「双方が関心を有する事項」という曖昧な議題設定のまま局長級協議の日程も決めずに終わった。そこには「拉致問題」を議題とするか否かの対立が横たわっている。
 日本側は、議題の中に「拉致問題は当然含まれる」としたが、これに対して北朝鮮外務省は9月5日、「事実を歪曲し、不純な政治的な目的に悪用している疑念を濃くさせる」と非難する報道官談話を発表している。
 北朝鮮が日本との政府間協議で拉致問題を議題とすることに否定的な談話を出したことについて、9月6日、日本の藤村官房長官は、記者会見で「拉致問題は、当然、協議を行うものと考え、調整に入っている」と述べ、議題に含まれるという認識を重ねて示した。
 しかしこうした日本側の主張に対して北朝鮮は17日に朝鮮中央通信論評を発表し、「拉致問題は解決済み」との立場を重ねて強調した。この論評によって藤本健二氏が吹聴していた「金正恩第1書記は拉致問題解決に前向きだ」「今年中には解決されると思う」との「楽観論」がいかに根拠のないものかが明らかとなり、日本政府は再び手詰まり状態となっている。その後、現在まで朝・日局長会談の日程は決まっていない。

*          *          *

 日朝協議が進展するかどうかは「拉致問題」を議題に載せるか否かにかかっていることは明白だ。北朝鮮がどこまで譲歩してくるかは全く不透明だが、見返り(制裁解除、経済支援)さえあれば「再調査」までの譲歩は行う可能性はある。しかしそれ以上の譲歩はよっぽどのことがない限り難しいだろう。北朝鮮にとって「拉致問題」は、人道問題ではなく「体制に関わる問題」であるからだ。
 ただ今後の日朝交渉においては、日朝間をブローカーのように行き来する人たちの「思惑情報」に引きづられないようにすることが肝要と思われる。

以上

 
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