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2009年の南北関係をふりかえって

コリア国際研究所所長 朴斗鎮

2009.12.30

1、潮目が変わった南北関係                 

2、潮目を変えた要因

 1)一貫して守られた韓国の相互主義原則
 2)安定した李明博政権
 3)通米封南戦術の破綻

3、引き続き韓国主導の南北関係とするには

 1)「グランドバーゲン」政策を補完しなければならない
 2)南北関係の再定義をしなければならない

 2009年の南北関係は米朝関係と同じような軌跡をたどった。年前半の北朝鮮は金正日の健康悪化に絡んで、強硬・脅迫戦術に徹し、韓国側は「無視と制裁」で一貫した。
  8月4日のクリントン元大統領の訪朝以降、北朝鮮は一転して宥和を演出し一歩後退戦術に出てきた。開城工業団地労働者の賃金引上げや土地賃貸料引のき上げ(注―北朝鮮側労働者の賃金を月300ドル水準に引き上げ、納入済みの土地賃貸料についても約31倍に当たる5億ドルで再調整することを要求した)、通行の制限、韓国側関係者の事実上の抑留など、それまで李明博政権に突きつけていた無理難題を一つづつ取り下げていった。
  そのキッカケを演出するために、(それまでの罵詈雑言が恥ずかしかったのか)北朝鮮は韓国政府と交渉するのではなく現代峨山の玄貞恩会長を呼び出し(8月16日)、金剛山観光や離散家族の再開など5項目の合意文を発表した。直前の13日には抑留していた社員も釈放(3月30日に拘束)した。
  また金大中元大統領葬儀時には、韓国政府の招請もないまま(民間団体の招きだけで)金己男書記を団長とする「弔問団」を一方的に送り込み(8月21日)、李明博大統領との面会を懇請した。そして、金正日国防委員長のメーセージを口頭伝達した。その後9月26日には韓国の李明博政権下では初めて、2年ぶりに北朝鮮の金剛山で離散家族の再会が行われた。続く8月29日には、北方限界線(NLL)を越えたため(7月30日)北朝鮮警備艇にえい航されていた韓国漁船「800ヨンアン」と船員が30日ぶりに韓国に帰国した。
  この一連の動きの狙いは、太陽政策への引き戻しと李明博政権の揺さぶり、米朝二国間協議への環境作りにあった。しかし、李明博政権は冷静に対処し、「弔問団」が仕掛けた「南北首脳会談」準備のための秘密接触でも踊らさることはなかった。
  2009年、李明博政権は世界的経済危機に耐えつつも、北朝鮮の核放棄を前提とした南北関係改善の路線を堅持した。また北朝鮮人権問題に対しても積極的に関与した。前政権時代に棄権していた国連の対北朝鮮人権決議にも引き続き賛成票(賛成99、反対20、棄権63で12月18日採択)を投じ、韓国内の北朝鮮人権運動団体にも金銭的支援を行った。 李明博政権は「太陽政策」の見直しを行ない、南北の統一方針においても「自由民主主義体制による統一」を明確に打ち出している。
李明博大統領は大統領当選直後、「過去の政権は北朝鮮批判を控え北朝鮮の機嫌に合わせていたが、今後はそれも変わっていくと申し上げたい」と強調(2007年12月20日)していたが、2009年もその言葉を守ったといえる。

1、潮目が変わった南北関係

 南北関係は今年も北朝鮮の李明博大統領批判から始まった。祖国平和統一委員会(韓国の統一部に相当)は1月30日の声明で、南北の対決状態解消に関する過去の合意事項をすべて破棄し、南北基本合意書(1992年発効)が定めた西海(黄海)上の軍事境界線の条項を破棄すると表明した。また、李明博大統領が、対北朝鮮政策見直しにかかわった玄仁沢(ヒョンインテク)高麗大教授(現統一部長官)を次期統一部長官に指名したことなどを非難した上で、「南北関係はこれ以上、収拾する方法も正す希望もなくなった」と指摘し、「南北関係が今日、険悪な状況に直面することになった責任は、全面的に李明博一味にある」と非難した。
  こうした北朝鮮の動きは2008年3月以降一貫したものだったが、2009年の前半まで続いた。
  北朝鮮による2009年の韓国に対する誹謗中傷報道回数は、1月=293件、3月=335件、6月=454件と増加傾向だったが、7月は275件に減少した。
  北朝鮮の韓国に対する誹謗中傷報道は、昨年4月1日付の朝鮮労働党機関紙・労働新聞の「論評員の文」から始まったが、2008年4月から12月までが計2146件(1日平均8件)、2009年は7月末までで2144件(1日平均10件)に上った。
  しかし北朝鮮は、6月13日の外務省声明以降、韓国と米国への非難攻勢を減少させ、8月のクリントン元大統領訪朝後は、李明博大統領を名指しで非難しなくなった。9月6日のダム放流についても9月14日、北朝鮮は珍しく弔意と遺憾の意を表明した。この遺憾表明は北朝鮮政権としては8回目のものとなる。
  8月以降、北朝鮮は一転して宥和的姿勢を示すようになり、李明博政権に対してもその対応を大きく転換してきた。8月23日の北朝鮮弔問団による韓国大統領表敬訪問を報じた際、朝鮮中央通信や朝鮮中央テレビなど北朝鮮メディアは李明博大統領を初めて「大統領」との肩書きで呼んだ。また、以前に報道した内容を再放送する場合にも、李大統領の実名部分を「南朝鮮(韓国)当局」と変えたりするなど、韓国政府に対する激しい非難の表現を変更して報じた。
  韓国の李種珠(イ・ジョンジュ)副報道官は、8月に入って北朝鮮メディアが李大統領を実名で非難した回数は、1日から24日までは1日平均10回以上だったが、25日と26日にはそれぞれ1回に減り、27日以降は李大統領の実名が取り上げられていないと説明した(聯合2009・9・3 )。
  11月10日に北朝鮮警備艇一隻が西海(黄海)のNLLライン(北方限界線)を越えて韓国軍に撃退された(北朝鮮警備艇は半壊状態となり4名ほどの死傷者が出た)時も、北朝鮮側は、南北将官級軍事会談北朝鮮側代表名義で北方限界線(NLL)を否定し、「無慈悲な軍事的措置を取る」と主張する通知文(13日)を韓国側に送るにとどまり、特段の措置はとらなかった。
  こうしたことについて韓国政府当局者は、「誹謗中傷の回数が減っただけでなく、誹謗中傷する機関のレベルも下がり、内容も和らいだ。政府は、南北の真摯な対話に向け、北朝鮮に李大統領の誹謗中傷を慎むよう要求してきた。最近、意味のある変化が現われているとみている」と述べた。

2、潮目を変えた要因

 李明博政権は、相次ぐ北朝鮮の脅迫・揺さぶり攻勢に対して、「北朝鮮非核化」を前提とした南北関係改善の基調を変えなかった。李明博政権は、北朝鮮の脅迫や欺瞞的宥和策にも対価を与えず、相互主義的政策を堅持した。
  そして、金剛山・開城観光再開および開城工業団地活性化関連の合意履行協議も、韓国側からは提起しなかった。離散家族再会に関しては、韓国政府が南北赤十字会談の開催を北朝鮮に持ちかけたが、金剛山・開城観光問題は根本的に異なるとして離散家族問題と切り離した。
  北朝鮮への支援もこれまでのように無原則には行なっていない。新型インフレンザに伴う医療支援などは行ったが、毎年行なわれてきた北朝鮮に対する数十万トンの食糧および肥料支援は、北朝鮮が6ヵ国協議の合意を守らないばかりか復帰もせず、引き続き「核保有策」をとっているため実行していない。

 1)一貫して守られた韓国の相互主義原則

 李明博政権の対北朝鮮政策は、その遂行課程で若干のブレはあったが一応一貫しものとなっている。この一貫性が南北の立場を逆転させる上で重要な役割を果たした。
  北朝鮮は李明博政権誕生時、「太陽政策から離れることは出来ないだろう」と甘く判断した。そしてその判断が間違っていたと気がついた後、こんどは「脅迫すれば韓国の親北朝鮮派が呼応し、太陽政策に戻らざるを得なくなるだろう」と計算し「戦争脅迫と罵倒」を繰り返した。そればかりか、「狂牛病騒動」を利用した「李政権打倒」までも狙った。
  しかし親北朝鮮勢力による「狂牛病騒動」扇動の欺瞞的内幕が暴露され、武力挑発には武力で対応するとする韓国側の断固たる対応で、これらの作戦は失敗に終わった。
  こうした失敗を取り戻そうとして、金大中氏葬儀を利用し、韓国政府の許可なく民間団体の要請に応じる形で訪韓した北朝鮮弔問団は、金正日国防委員長のメッセージ伝達を口実に、日程を一日ずらしてまで李明博大統領との面会を懇願した。その姿は南北の逆転しつつある立場を象徴的に表したといえる。このことを韓国中央日報コラムは次のように評価した。
  「こうした状況は金大中、盧武鉉両政権の下での状況とは対照的だ。当時はすべてが、北朝鮮の意向通り実現された。今回の件は、実は「太陽(包容)政策」と呼ばれた柔軟政策の中断による禁断症状がついに消えたことを象徴する(中央日報2009・9・3 )」。
  団長の金己男書記は、この時の芳名録に「お忙しい中、李明博大統領が会ってくださり、真に有難うございます。大変感謝します」と書き入れたという。「逆徒」「反逆者」と罵倒していたあの勢いは全くなかった。だがそのへりくだった対応の裏には「南北首脳会談」カードで李政権を再び揺さぶろうという狙いが秘められていた。
  しかし韓国政府はこの巧妙で微妙な懸案も適切に処理し、北朝鮮に見返りを何も渡さなかった。こうした状況は、金大中、盧武鉉両政権の時とは全く対照的だ。当時はすべてが、北朝鮮の意向通り実現され、何かあると必ず北朝鮮は見返りを手にした。特に「南北首脳会談カード」は特別な効果を発揮した。今回の事態を見て、多くの専門家は、「太陽政策」の弊害から抜け出す象徴的事件だと評価している。
  こうした韓国政府の対応は、米国と北朝鮮が6ヵ国協議再開をめぐり綱引きをしている状況、国際社会の対北朝鮮制裁の動き、6カ国協議議長国の中国による北朝鮮説得努力など、さまざまな変数を総合的に考慮したものであるが、その根底には、8月以降の北朝鮮の変化が根本的なものではなく、当面の局面打開を図る戦術的なものという判断がある。
  統一部の玄仁沢(ヒョン・インテク)長官は9月2日、ハンナラ党議員の集まり「国民統合フォーラム」が主催した討論会で、「北朝鮮の6カ国協議と核問題に対する姿勢に変わりはなく根本的なものではない」との認識を示した。また「最近、北朝鮮が陸路通行など南北関係における各種制限措置を撤回したが、北朝鮮が根本的に変化しているかどうかについては依然疑問があるとし、制限措置の撤回で北朝鮮が特に前向きな態度を示したとは見ておらず、「ようやく原点に戻った」と評価した。
  南北関係の対応原則については「北朝鮮核問題が最も重要なだけに、解決に向け努力する。南北問題は国民の合意に基づくものでなければならず、国民の合意がない対北朝鮮政策は無意味」と述べた。
  故金大中元大統領の国葬期間に行われた北朝鮮弔問団との面会については「現政権発足後、初の南北高位当局者間の接触という意味があるが、小さな最初の一歩にすぎない」とし、これをどのようにして大きな発展へとつなげるかは北朝鮮にかかっていると強調していた。

 2)安定した李明博政権

 李明博政権の安定度が増してきたのも南北関係の主導権が韓国に移る要因として作用した。最近李明博政権の支持率は40〜50%台に上昇している。こうした中で政権スタートから1年半ぶりに内閣改造を行い、大統領選で旧与党陣営から大統領候補として名前が挙がった鄭雲燦(チョン・ウンチャン)ソウル大教授を首相に据えた。政権基盤の幅を広げる狙いがあるようだが、李政権の支持率上昇がなかったなら実行できなかった人事だ。
  また政権安定を背景にして、対北朝鮮政策の重要な部署である国家情報院(国情院)の大幅入れ替え人事(1級職員の80〜90%、3月3日実行)にも着手し、統一部の改編も断行した。
  国情院の人事異動について青瓦台関係者は「今回の1級職員は国情院改革のための李大統領と元院長の意志が反映されたもの。ここ1年間、各部所長の業務に対する評価結果をもとに人事が行われ、特別に“経済”と“安保”分野を強化することに焦点が合わせられた」と説明した。
  韓国統一部も5月12日、北朝鮮の情報分析機能の強化などを柱とした組織改編案を発表した。改編案では、統一政策局を統一政策室に拡充するほか、情報分析局を新設し、傘下に北朝鮮の政治や経済、軍部の動向を分析する専門の課を置くようにした。また、北朝鮮への人道支援や離散家族問題、脱出住民(脱北者)の定着支援などを扱ってきた人道協力局を廃止し、統一政策室と南北交流協力局に統合した。人道協力局の廃止について、同省では「組織の効率化という側面での判断。統合により、より効果的な運用ができる」と説明している。(共同)
  そればかりか韓国国防省では2020年を目標にした国防改革基本計画の修正案を発表(6月26日)し、北朝鮮による核やミサイルの脅威を「敵(北朝鮮)地域で遮断、除去」する先制攻撃の概念を明示した。こうしたシナリオが国防計画として公開されるのは異例のことである。
  李明博政権に対する支持率上昇とは対照的に北朝鮮に対する韓国国民の信頼度は10年来の低水準を記録した。
  現代経済研究院が6月25日に発表した(全国の成人男女623人を対象、5月4〜8日に実施)アンケート調査の結果によると、「北朝鮮を対話のパートナーとして信頼できるか」との質問に「信頼する」と答えた回答者は22.2%だった。「信頼する」との回答率は2000年の南北共同宣言直後は52.3%だったが、2002年は34.1%、昨年10月は24.3%に落ち込み、今回はさらに2.1ポイント下落した。年齢別には20代(25.6%)と30代(25.7%)が平均を上回ったが、40代(19.2%)と50代(19.8%)は信頼度が低かった。

 3)通米封南戦術の破綻

 2009年は韓米協調体制がいっそう緊密化した年である。北朝鮮の第2回核実験後、オバマ政権は韓米首脳会談(6月16日)で、北朝鮮の核脅威に対抗して李大統領に「拡大抑止」を約束した。オバマ大統領は米韓同盟を強化する一方で北朝鮮に対する「制裁と無視」の政策を続けた。その結果、北朝鮮の「通米封南戦術」は破綻し、韓国政府の「相互主義」政策がいっそう効果を発揮した。
  米ホワイトハウス・国家安保会議のベイダーアジア担当局長は11月9日(現地時間)、オバマ大統領の訪韓を前にして「オバマ大統領と李明博大統領は緊密な関係を築いてきた。特に6カ国協議の過程に関しては、われわれはあらゆる措置を取る前に必ず韓国と緊密に協力した」と話し、米朝2国間対話に関しても韓国と連携していることを強調した。
  このベイダー発言の直後(10日現地時間)、米国務省は、スティーブン・ボズワース対北政策特別代表の訪朝を公式に発表したが、この件に関してもクローリー次官補は「バラク・オバマ大統領とヒラリー・クリントン国務長官が、パートナーの国々との幅広い協議と慎重な検討を経てボズワース代表の訪朝を決めた」と伝えた。
  この発表に対して韓国政府は11日、外交通商部のムン・テヨン報道官名義の論評で、「米国が6カ国協議の早期の再開と、9・19共同声明を含む北朝鮮の非核化の約束を再確認するために、ボズワース特別代表の訪朝を推進することを支持する」と伝えた。  
  論評はまた、「韓米両国はこの間、米朝両者対話を推進する過程で緊密に協議して来ており、今後も北朝鮮の核問題の実質的な進展のために、堅固な共助を維持して行く」と述べ、「今回の米朝対話が、北朝鮮を早期に6カ国協議に復帰させて、北朝鮮の核問題の解決に肯定的に寄与する契機になることを期待する」と明らかにした。
  こうした韓米両政府報道官の発言は、韓米関系のこれまでにない緊密さを表しており、北朝鮮が狙う「「通米封南戦術」が通用しなくなっていることを示すものである。

3、引き続き韓国主導の南北関係とするには

 北朝鮮による現在の対南宥和攻勢が、主には米朝対話を成功させる条件作りとして進められているという点を考慮したとき、また李明博政権の対北朝鮮政策が、非核化を基本とする米国の対北朝鮮政策とリンクされていることを考慮した時、南北関係の行方は米朝協議の結果次第と見ることもできる。
  米朝関係はボスワースの訪朝結果からみて、今後当分の間は対話が進むと予測される。したがって2010年前半の南北関係も2009年後半の流れを引き継いでいくものと思われる。しかし2010年後半は不透明である。オバマ政権がアフガン問題で苦境に陥り、11月の中間選挙で勝利できない状況が生まれれば、また一方、北朝鮮の統治体制に何らかの危機がせまれば、北朝鮮の強硬路線と「通米封南」政策が再び頭をもたげてくる可能性もある。そうした状況が生まれたとしても、韓国はブレることなく南北関係の主導権を維持していかなければならないが、そのためには対北朝鮮政策をいっそう研ぎ澄ましていく必要がある。

 1)「グランドバーゲン」政策を補完しなければならない

 米国をはじめとする6ヵ国協議参加国ははこれまで、「北朝鮮の現体制が続く限り、決して核を放棄することはない」という悲観的な展望からあえて目を背けてきた。しかし今後は現実を直視するしかない「瞬間」が必ずやって来るだろう。
  李明博政権の「グランドバーゲン(包括的交渉)」政策はこうした事態にも対応できるようにしなければならない。しかし現在のままでは対応が難しいと思われる。今の「グランドバーゲン」政策は、北朝鮮の「サラミ戦術」に対しては有効かもしれないが、金正日政権が核放棄を交渉のテーブルに載せない場合は効果を出せない。特に米国が国益を優先し北朝鮮に対して「後戻りできない完全な核の放棄」ではなく「核の不拡散」で妥協した時、大きな困難に直面する。
  北朝鮮の核は交渉用として使われてはいるが、その保有動機は交渉のためではない。それは金正日の統一戦略と結びついている。金正日は、朝鮮半島の統一(韓国の支配)と先軍政治の関係について次のように主張している。
  「先軍政治と祖国統一の関係を見たとき、祖国統一はその本質的内容から先軍政治方式の具現を要求するところにある・・・
  今日朝鮮半島における祖国統一の最大の障害要因は、米国の南朝鮮支配だ・・・
  米国の民族抹殺的な自主簒奪を除去し、民族の念願である祖国統一を成し遂げようとするならば、先軍政治方式を具現しなければならない。先軍政治方式を具現してこそ米国の覇権的対北朝鮮侵略政策を阻止し、朝鮮半島の強固な平和を保障することが出来、ひいては朝鮮半島の平和的統一を実現することができる」(シン・ビョンチョル、「祖国統一問題100問100答」、平壌出版社、主体92〔2003〕年2月5日、p175〜177)
  この金正日の先軍統一路線の本質を見たとき、経済支援と引き換えに核を放棄しないことは明白だ。それは北朝鮮が今年の4月に先軍思想を付け加えた「改定憲法」の採択でいっそう明らかになった。すなわち核武装を憲法に明記し法制化したのである。
  では先軍憲法を掲げる金正日が、核を放棄するのはいかなる時であろうか?それは韓国から米軍が撤収し、北朝鮮による韓国の吸収統一が実現可能となったときである。 
  金正日は米軍が韓国から撤収しさえすれば核兵器を使わなくても韓国との戦争で勝利すると確信している。不足な物資を中国から支援されれば、北朝鮮はすべてを戦争に集中できる体制にある。今回の憲法改定で国防委員長の条項を新たに設け、すべての権限をそこに集中させたのははこうした戦争体制をいっそう強化するためのものだ。
  しかし韓国では戦争に集中する体制を作ることができない。韓国には北朝鮮を支持する親北朝鮮勢力が存在し、国論は二分されている。一部の人たちは南北の経済格差だけをみて韓国の優位性を主張し、それを根拠に北朝鮮が韓国支配をあきらめたと考えているがそれは大きな誤りである。米軍が撤退すれば兵力では北朝鮮が多く、武器においても南北の格差はそれほど大きくない。したがって韓国を思想的に武装解除させれば北朝鮮の劣勢は埋められる。
  北朝鮮の核が米軍の韓国からの撤収を狙ったものであり、北朝鮮主導の朝鮮半島統一を狙ったものであることを考えた時、李明博大統領の反対給付的「グランドバーゲン」構想だけでは北朝鮮の核を放棄させることは出来ない。こうした構想と同時に金正日政権を圧迫する一貫した政策が必要だ。

 2)南北関係の再定義をしなければならない

 もしも金正日政権が国民の豊かさを第一目的とする政権であり、改革解放を目指す政権であるならば、彼らの要求と「グランドバーゲン」がかみ合うであろう。しかし金正日の目的は国民を豊かにすることではなく朝鮮半島全域に金王朝を打ち立てることである。
  李大統領は金大中政権以来続いている北朝鮮に対する「反対給付的政策」を戦術として駆使し、そこに金正日政権を崩壊させる根本的で一貫した戦略、すなわち北朝鮮住民を取り込み金正日政権を孤立させる戦略を組み合わせなければならない。そうしてこそ、いかなる状況下でも南北関係の主導権を握ることができ、ひいては自由民主主義のもとでの統一を成就することができる。また国際状況の変化、特には米韓同盟の変化や米日同盟の変化にも対応することもできる。
  そのためには南北関係を再定義する必要がある。これまでのように「金正日との関係」を「南北関係」として政策立案するのではなく、「北朝鮮住民との関係を南北関係」として定義しなければならない。北朝鮮人権問題に焦点を当て、核問題も人権問題・人道問題として扱っていかなければならない。そうすれば米国の脅威を口実に核保有を正当化する金正日政権の詭弁にも打撃を与えることが出来る。
  では北朝鮮の権力を握っている金正日との関係をどう定立するのか?金正日との関係は対話姿勢を保ちつつも無視することが最良の策である。無視しつつも外交的には対応し、金正日が一つ譲歩すれば、それに見合った対価を一つ与えればよい。この点では今のところ李明博政権はよくやっていると言えるだろう。
  南北関係を北朝鮮住民との関係に再定義すれば、北朝鮮人権問題は当然南北の主要な問題とし提起される。そうなれば、韓国政府の対北朝鮮政策は一貫した骨のある政策となり、北朝鮮住民を改革解放へと導く正しい「関与政策」となるに違いない。

 
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